私という人間を
もっと皆さんに知っていただきたいので
今日から数日間、
マイストーリーを
お届けします。
改めて私の人生
振り返ってみると、
我ながら
ハチャメチャな
選択をしながら
ここまできたなあ…と
しみじみしてしまいます。
繋がり、全くなし😆
けれど、ようやく
一周回って
昔の夢と握手できたような
気持ちです。
最初のストーリーは
小さい頃の夢に
さかのぼります。
幼い頃の私の夢は
「医者になること」でした。
岐阜の田舎で
町医者をしていた
祖父の姿を見ていたからです。
まだ日本が貧しい時代に、
みんなお金がないから、
代わりに野菜などをもらいながら
診療して、
人との繋がりを
大切にしながら
自ら先に「与える」ということを
していたエピソードを聞いて
「おじいちゃん、カッコ良い!
繋がりを大切にしながら
人に喜んでもらえるって素敵!
私もそんな風に
人を思いやりながら
健康にしていく仕事がしたい♡」
そう思って
医学部を目指しました。
・・・が!しかし!
合格は遥か遠く、
1度目の挫折を味わいます。
この時は親から
「浪人なんて恥ずかしい!」
などなど様々言われ
暗黒時代でした。
今となっては笑い話です。
そして2回目の受験で
合格したのは農学部。
最終的に、
だいぶ方向転換しました。
医師になること以外で
興味があったのが
環境問題で、
土壌や昆虫、農薬など
環境のことを
いろんな角度から
学べたのが農学部でした。
ちょっと、今の仕事とも
繋がるところがあります♡
さて、次に来るのが
「就職」という山です。
まさに「就職氷河期」と
言われた頃。
志望していたのは
化粧品会社でした。
なぜかというと、
化粧が人の心理にも
大きな影響を与えて、
元気にするチカラがある
ということに
すごく興味があったから。
結果…
見事に全滅です(笑
人生2度目の挫折。
そこからどう復活するかは
次のメルマガでお届けしますね。
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私は重ね煮が大好きで
1人でも多くの人に伝えたいと
がんばってきましたが
重ね煮はあくまで「手段」。
私の原点は、重ね煮と出会う
もっと前の「祖父」にあったんだ、
と感じました。
人との繋がりを大切にして
役に立ちたい。
人を元気にしたい。
「人を良くする」と書いて
「食」ですが
私が食を大切にしたいと思う
原点はここにありました。
おじいちゃん、大切なものを
私に残してくれてありがとう。
大好きです。
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<ただいま、お話会を開催中です!>
『島生活へ送り出してくれる
協力的な夫に変わった理由』
今夏、子ども4人を連れて
1ヶ月以上の離島生活を送りました。
それを快く送り出してくれた夫、
そして遠慮なくやりたいことを
できるようになった私の
お話をシェアします。
大切なのは「家族の根っこ」。
ぜひ、お話ししませんか?